讃岐(さぬき)香川県に旅行・観光・UDONツアーでお越しの際には満濃池に是非お立ち寄り下さい

当サイトは日本一大きなため池「満濃池」の周辺情報や
歴史文化を発信するとともに近隣のお店や企業の紹介も
合わせて行うことを目的としています。
たけなわの春が過ぎ、野山の緑が色を濃くした六月十五日、
満濃池恒例の「ユル抜き」が行われる。


ほたる見公園ライブカメラ


国指定重要無形民族文化財綾子踊
まんのう町佐文
むかし、佐文七名といって七軒の豪族があったところ、綾という女がいた。
ある干天の年に、草木も枯死寸前となり、村人は非常に苦しんでいた。ある日、諸国遍歴の僧に綾が住民の苦しみを話したところ、僧は住民をあわれみ、龍王に願いをこめて雨乞踊りをすれば降雨疑いなしと教えた。そこで村人を集め旅僧自ら芸司となり、綾夫婦の鉦、太鼓にあわせて踊ったところ、俄に一天かき曇り、滝の如く雨が降った。
それより干天の年には毎年この踊りを行うことを例としてきた。
以来こうして綾が踊ってみると、恵みの降雨があったので、この踊りが雨乞踊りとなり、だれ言うことなく綾子の踊りとして現在に伝わっている。
なお、この時の僧は弘法大師だと伝えられている。

いま県下に伝わる雨乞踊りは佐文の綾子踊と滝宮の念仏踊の類型に分かれるようである。滝宮系の踊りの編成は全員が男子であり、男装で踊るのに対して、佐文系の踊りは小踊六人、大踊六人ともみな振袖姿の男子女装であでやかである。
これは踊りの縁起主である綾子(巫女)を美しく象徴したものであると考えられる。なぎなた持ちと棒持ちが中央に進み出て、口上を述べてなぎなたと棒を使い、次いで地唄が座につき芸司が口上の後歌い出し、踊りが始まる。


満濃池の歴史
今昔物語にすでに登場する歴史の深い満濃池について

満濃池の堤防下の樋門から金倉川に注ぐあたりに整備された公園で、池より流れ出る川のせせらぎが心を和ませます。園内は「ほたるの壁画」「ぼたん園」「ほたるの里」そして満濃池へと「遊歩道」が続き、ぼたんをはじめ、桜・しょうぶ・あじさい・つつじなど四季の花を散策できます。
またこの公園は、香川新50景にも選定されています。


満濃池に新たな文化と賑わいを
創設するグループ
田植えの頃、満濃池周辺の宵闇には、ほのかな光を発見することができます。「まんのうボタル」です。この蛍は普通のものより少し形が大きいのが特徴の源氏ボタルです。古来より満濃池はホタルの生息地として知られていましたが、30年ほど前から、すっかり姿を消してしまいました。そこで、その幻となったまんのうボタルを復活させるために、満濃池下流の「かりんの里」の近くに「ほたるの里」を開園し、金倉川のほとりに水車小屋とホタルの育つ水路を設けるなどをして、ホタルが自然に育つように工夫しました。
 この川岸には、よみがえったまんのうボタルの姿をゆったりと楽しむことができるように「ホタル見公園」が整備されています。
  こうして、満濃町は「ホタルの里」として、かつての夏の風物詩、美しい光を取り戻すことができたのです。




LINK

満濃雑木林クラブ
MTCライブカメラリンク集
Green Mind
まんのう町公式ホームページ
国営讃岐まんのう公園


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